蒼い月に向かって響く笛の音。奏でているのは1人の男。その音に呼ばれて仮面の道化師は笛吹き男と出会う。

 彼は笛吹き男と呼ばれていた。旅歩きの笛吹き男、と。  今日も今日とて、彼は笛を吹く。蒼い月夜に笛を吹く。その音に誘われて、人々は彼の元へと訪れる。その中に紛れてその少年は居た。
 黒いフード付きのローブに顔を覆い隠す仮面。
 人々は彼をこう呼んだ。仮面のピエロ、と。

 今晩の演目も終わり、鳴り響いていた笛の音も闇夜に消えて行った。それと同時に、人々も離散していく。その中で、少年は男に近づいていった。
「こんばんわ、笛吹き男さん」
「やあ、こんばんわ、少年。今宵もいい月夜だ」
 男は少年にそう返すと、荷物を纏めはじめた。そんな彼に少年は問いかける。
「笛吹き男さん、この町にはいつまでいるの?」
「いつまで? さあ、分からないな。残念ながら。全ては私の気紛れなのでね」
「ふうん……」
 男がそう言うと少年は残念そうに言った。その様子を知ってか知らずか、男は少年こう言った。
「なんだ少年、寂しいのかい?」
「いや」
 その言葉に少年は即答する。しかし、男は少しも気にも留めずに続けた。
「そうかい。ところで話は大幅に変わるのだが、何故少年は仮面を被っているのかね?」
「顔を見せたくないんだ」
 またしても少年は、男の問いに即答した。
「そうかい。では、何故そこまで深くフードを被っているのかね?」
「髪を隠したいんだ」
「そうかい」
 少年の言葉に男は納得した様に言った。
 その後、少しの沈黙の後に男は纏めた荷物を持ち、最後にもう一つ問いかけた。
「それでは、少年。ここで会ったのも何かの縁だ。君の名前を教えてくれないかね?」
「町の人たちは僕を“ピエロ”と呼ぶよ」
「そうかい。ではピエロ君、また明晩も会えることを願うよ。君は実に“面白い”」
「じゃあ、僕も会えることを期待するよ。笛吹き男さん」
 二人はそう言葉を交わし、どちらからともなくその場から去っていった。

 その翌晩、二人はまた月夜の下にいた。
「こんばんわ、笛吹き男さん」
「やあ、こんばんわ、ピエロくん。昨夜ぶりだね」
 特にこれといった会話もなく、少年は男が荷物を纏めるのを眺めている。男の方も、少年が眺めているのを気にせずに荷物を纏め続ける。
「さて、私はもう今晩は帰るよ。ピエロくん、君はどうするのだい?」
「笛吹き男さんが帰るのなら、帰るよ。することもないし」
「そうかい」
 お互いに何を話すわけでもなく、何をするわけでもなく、二人はその場から立ち去った。
 それからも、少年は男が荷物を纏めるのを眺め、それが終われば帰っていく。そんな夜が三日続いた。

 そんな晩、いつものように自分を眺めている少年に男は言った。
「ピエロくん、私は明日の朝にここを発つ」
 男の急な発言に少年は少なからず動揺した。
「……そう。随分と急だね」
 少年は僅かに視線を下げて言った。
「そうかい? しかし、全ては私の気紛れなのでね」
「そう」
 それっきり、少年は何も言わなかった。男も、それを気にすることはなかった。
 荷物を纏め終わった男は少年を見る。
「では、ピエロくん。さよならだ」
「そうだね。さよなら、笛吹き男さん」
 その夜、男が立ち去っても少年はその場に留まり続けた。
「そうか……。明日の朝に……」
 そう言った少年の声は震えていた。

 翌朝、早朝であるため、空気はとても冷えていた。
 男は荷物を片手に静まり返った街を歩く。ただ前だけを見つめて。
 そんな彼の背後から、誰かが駆けてくる足音がした。
 こんな早朝に誰だろうと不思議に思った男は振り返って、そして、ここ数日で見慣れた姿を見つけた。
 それは、仮面を被った子供。自分をピエロと名乗ったあの少年だった。
「ピエロくん、おはよう。随分朝早いのだね」
「別に……そういう、わけじゃ、ない」
 走っていたせいか、息も切れ切れに少年は言った。
 少しして、息が少し整ってきたところで少年は男の顔をまっすぐ見た。
「笛吹き男さん、頼みがあるんだ」
「頼み?」
 突然のことに、男は目を点にする。その表情の裏では、昨晩のピエロくんもこんな感じだったなと思った。
「そう、頼み。笛吹き男さんの旅に、僕を連れて行ってくれ」
「……なんだって?」
 少年の頼みに男は怪訝な顔をした。しかし、そんな男を見ても少年は揺るがない。
「お願いだ。自分の食い扶持は自分で稼ぐし、自分のことは自分でできる。だからっ」
 そういう少年の前に男は手を出し制止を促す。
「ま、待ちたまえピエロくん。私の理解が追いついていないのだが。君、身寄りはいないのかい?」
「いたらこんなこと言うわけないだろ?」
「それもそうだ。しかし、なぜ私なのだい?」
「僕の直感がそう伝えたから。貴方に付いていけば、僕は僕の存在を認められるんじゃないかって」
「存在……」
 その言葉で、男は少年が今までどんな思いをしてきたかを漠然と悟った。
 きっと、辛い思いをしてきたのだと。
 そして、彼は自分に救いを求めている。今、この場で。
 しばらく考えたあと、男は口を開いた。
「……いいだろう」
「本当にっ……?」
「ただし、条件が一つだけあるのだが」
「…………条件?」
 その言葉に少年は息を呑む。無理難題ならば、条件を飲むことは難しい。そうすれば、必然的に付いていくことは出来なくなる。
 少年は、男が再び口を開くのを待った。
「ピエロくん。君の本当の名前、そして姿を教えて欲しい」
「名前と、姿……」
「ああ。それが条件だ」
 名前と姿。それは今までこの街で暮らしてきて、一度も曝したことのないもの。
 それを、目の前の人物は求めていた。
 自分の、真実を。
「……わかった、教えるよ。だから、連れて行ってくれる?」
「勿論。教えてくれるのならば、連れて行こう」
 その言葉を聞き、少年は恐る恐る被っていた仮面に手をかける。
 呪いの言葉とともに付けられた、癒えることのない傷。それを隠し続けてきた仮面。
 自らの手で外したそれは、手から滑り落ちて硬い音を立てて石畳に転がる。
「僕の名前は、アレクセイ。アレクセイ=アルツィバーシェフ」
「アレクセイというのか。ならば、アリョーシャと呼べばいいのかね?」
「……好きに呼べばいい」
 少年は俯きながらぶっきらぼうに言う。そんな少年の前にしゃがみ、男は少年の顔を見た。
 瞳は固く閉じられているが、右側の額から真っ直ぐ頬の方に向かって一つ、切り傷の跡があった。
「アリョーシャ、君はこの傷を隠すために仮面を被っていたのかい?」
 男の問いにアレクセイは首を振る。その返答に男は首を傾げた。
「ならば、何故?」
「僕の右眼は呪われているから」
 そう言ってアレクセイは閉じていた瞳を開ける。
 そこにあったのは、翡翠のような鮮やかな翠緑の左眼と赤碧玉のような深い紅蓮の右眼。
「……とても綺麗じゃないか。隠す必要などないと思うがね」
 男はそう言って笑った。そんな男を見て、アレクセイは照れたように俯く。
 その時、風がアレクセイの被っていたフードを捲くった。
 そこから現れたのは、雪のような白銀。それは、アレクセイのあまり光を浴びていなかった肌と相まって、なんとも形容し難い神秘的な雰囲気を醸し出す。
 自分の姿を見つめたまま動かない男を見て、アレクセイは慌ててフードを被り直そうとした。しかし、男の手がアレクセイの腕を掴んだことにより、それは叶わなかった。
「だから、何故隠す必要があるのかね?」
「……気持ち悪くないの? こんなに真っ白で……」
「綺麗だと、言ったはずだがね」
 何でもないように言う男に、アレクセイは恥ずかしさのあまり赤面する。
 そんなアレクセイに満足したように男は微笑み、そして荷物を持って立ち上がった。
「さて、アリョーシャ。出発するとしようではないか」
「本当に、連れて行ってくれるの・・・・・・?」
「条件は満たした。連れて行かない理由が何処にあると言うんだね?」
 そう言えば、アレクセイは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! えっと……」
「私の名は、エヴゲーニー。エヴゲーニー=アンドレイ=ハレット」
「エヴゲーニー……」
 アレクセイがそう呟けば、エヴゲーニーは満足したように笑った。
「これからよろしく頼むよ、アリョーシャ」



 今回の話は、なんとも言い難い。
 このあとに、彼らがどのような運命を辿るかによるのだろうが、『彼女』の機嫌を損ねなければいいのだがね。
 諸君らは如何だったかな?
 満足してもらえたのなら光栄なのだがね。
 まあ、していなくとも構わないがね。



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