今月13日

 少女連続拉致事件が発生。
 市内の十代前半の少女達が次々と行方不明になるという事件が発生した。
 犯人は市内の研究施設の研究員。他の研究員の内部告発にて発覚。

 その研究施設は、表向きには薬品会社として知られていた。
 しかし、その実態は、過去の犯罪史を基にした人体実験を行っていた施設だと事情徴収で研究員は語った。
(その犯罪史とは、世間一般では迷宮入りとされた奇怪な事件を記した古書で、その書物の始まりは、一世紀以上前に発生した少女拉致監禁事件から始まるという)
 事情徴収の後、その施設内を捜索したところ、拉致された少女たちは地下牢にて死体として発見された。
 そして、その奥には大広間が存在し、そこには巨大な水晶柱、水瓶、床に描かれたミステリーサークルがあった。
 その風景は、古書の事件と酷似していることから、関連性を調査中である。

(以後、古書より引用)

 少女拉致監禁事件
 1762年 6月28日
 近隣住民の通報にて発覚。
 通報した住民によると、深夜、度々廃屋から何者かの声が聞こえていたらしい。
 しかし、通報した日には、話し声ではなく叫び声が聞こえてきたらしく、その声に混じり、少女と思われる間高い笑い声が聞こえたという。
 通報を受けて駆けつけた警察官が、廃屋にて成人男性の死体と少女を発見。
 成人男性の身体には、無数の注射痕が見つかり、廃屋の一室から薬物が検出されたことにより、男性は、薬物濫用者と思われる。
 死体解剖の結果、男性の死因は、出血多量によるショック死と判明。
 そして男性が発見された部屋と同室で、十代前半位と思われる少女を発見、保護した。
 保護した少女については、捜索依頼は出されておらず、当初は男性の血縁者である可能性も考えられたが、その後の調査の結果、男性には血縁関係の者がおらず、少女との関係も皆無であることが判明。
 少女の身体には暴行などの痕は見受けられず、栄養失調も見られなかったため、最低限の食事は摂っていたと考えられる。

 少女は警察官に発見された部屋に監禁されていたと思われる。
 その部屋には、無数の玩具、キャンバス、そして空となった多くの絵の具が発見された。
 警察官が少女を発見した際には、床にミステリーサークルが描かれており、その中心に少女は倒れていた。
 当初は、ミステリーサークルは赤いペンキの様なもので描かれたと考えられていたが、のちの調査により、人の血液で描かれていることが判明。
 そして、鑑定の結果、その血液は廃屋で死亡していた男性のものであると判明した。実際、男性の身体は血液が一滴も残っていなかったという。
 後日、保護した少女に事情徴収をしたところ、ミステリーサークルを描いたのは少女であることがわかった。
 それと同時にそのミステリーサークルは、廃屋にある一冊の本に描かれていることも判明。
 しかし、その事柄の事を詳しく聞こうとしても、その少女は唯同じ言動を繰り返しただけであった。
 その後、監禁されていた当時の心的外傷の可能性を視野に入れ、少女にカウンセリングを受けさせることを決定。
 しかし、カウンセリング中も、少女は事情徴収の時と同じの言動を繰り返したという。
 少女の事情徴収の後、廃屋で、床に描かれていたミステリーサークルが描かれた本を押収。
 その本は、随分昔に書かれたであろう古書であった。
 その古書を調査した後、解読不能の部分が多々あったが、解読できる部分は、少女が繰り返していた言動と同一であることが判明。その事から、少女は監禁されている間なんらかの方法でその古書を読んでいたと考えられる。
(古書は少女が監禁されていた部屋とは別の場所にあり、十代前半程の少女が読むには難解であるため。おそらく、死亡していた男性が読み聞かせをしていた可能性が高い)

 その内容は次の様なものである。

午前零時の鐘とともに開かれる扉。

扉を開く鍵は七つ。
一つ、月光に当てた水晶
一つ、蝋燭に灯した聖火
一つ、汚れなき清水
一つ、月蝕に芽吹いた月桂樹の葉
一つ、純粋なる黄金
一つ、銀の十字架
一つ、永遠の少女

原罪を背負いし者の血で陣を描き、その七点に鍵を置け。
午前零時の鐘とともに扉が開き、我らは新世界へと旅立てるだろう。

賢き者も、愚かしき者も、
美しき者も、醜き者も、
全て黒き闇にほふられるだろう。
新世界へと導かれたものだけが、救われる。
扉を開いたものだけが、救われる。

 少女の話によると、この書は、一冊のみではないらしいが、廃屋には一冊のみ存在したという。
 この古書について調査したところ、これは全13巻あるうちの最終巻であることが判明。さらには、この古書の内容に似た犯罪が今までに多数発生ことも発覚。
 今回の事件も、この古書の記述によって行われたものである可能性が浮上した。
 今後も調査を進めるべきとの声も上がっている。
 しかしながら、少女の拉致監禁についての動機は、拉致監禁した男性が死亡しているため解明できず、少女の捜索依頼もないためこれ以上の調査はされないことが決定した。


 少女はその後、孤児院に入院したが、五年後急死したとの報告あり。
(これは、後から付け加えられたらしく、ペンで殴り書きされていた)


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