ある屋敷の一室。
 その部屋は、天井が恐ろしく高い書斎であった。
 其処には、天井まで届く本棚と、それに隙間なく並べられた数多の本。そして、三人のヒトがいた。
 漆黒の青年に金髪の少女、そして紫眼の男。
 玉座のような椅子に腰を掛け、紺色の表紙の本を読む漆黒の青年の膝に、少女は寄り縋って言った。
「ねえ、今日は何のお話を読んでいるの?」
 その声色は、とても無邪気なものだった。
 その少女の問いに、漆黒の青年は微笑を浮かべて答える。
「永遠を手に入れようとした愚かな男と何も知らない無垢な少女の悲しい物語さ」
「随分なモン読んでるな。餓鬼のくせして」
 漆黒の背年の答えに紫眼の男が口を開いた。
 その声に反応して、少女が紫眼の男を見る。その視線は、まるで「お前は黙ってろ」とでも言うように。
 少女の視線に、紫眼の男は嘲笑を返し口を閉ざした。
 少女は、そんな彼を一瞥すると漆黒の青年に振り向き返し、瞳を輝かせてせがんだ。
「ねえ、ねえ! 私にも聞かせて!」
「じゃあ、聞かせてあげよう。ロッティ」
 その言葉に、ロッティと呼ばれた少女は無邪気に笑った。



 とある街角にひっそりと建つ寂れた洋館。
 そこに一人の男と一人の少女がいました。
 少女は、いつもキャンバスに絵を描いていました。何枚も何枚も。沢山の絵を描いてきました。
 そして、決まった時間に少女の部屋に現れる男に、嬉々としてその絵を見せるのです。
「ねえ、お父さんっ。今日はね、きれいなお花畑を描いたのよ。いつか、お父さんと一緒に行くの!」
「そうか。そうだね、トワール。いつか一緒に行こうな、私の可愛いトワ」
 そう言って、お父さんはトワの頭を撫でます。それに応えるかのようにトワは笑いました。

 空が黒く染まって星が輝きだす頃。
 お父さんはトワにお話を聞かせます。
「午前零時の鐘とともに開かれる扉。扉を開く鍵は七つ――……」
 それは、古い書物の記述でした。
 その話が終わるころ、決まってトワは言います。
「その扉は、いつかお父さんが開けるのね。トワも一緒に開けるわ」
 そう語るトワは、無邪気に笑いました。
 それは、幸せな父と娘の姿でした。この洋館に他の人間がいたのなら、その人にもそう見えたでしょう。

 ――縦令、娘の空が四角く切り取られたものだとしても。

 しかし、そんな幸せな時間も時である以上、変化していくものなのです。
 お父さんは日に日に痩せこけていき、目の焦点も合わなくなってきていました。
 そして、遂にその歪んだ夜の悲劇は訪れました。

 トワの部屋を訪れた男の目の前には、大きな水晶と火の灯された蝋燭、金の硬貨に銀の十字架、さらに水の入った水瓶に葉のついた木の枝がありました。
 そして、その先には、月光に煌めくモノを持った愛しい少女の姿。
 お父さんの存在に気付いたトワは、お父さんに近づき言いました。
「トワとお父さんは、あたらしい世界に旅立つの。もうさみしくないし、かなしくないんだよ。ずっとずっと一緒なの、お父さん」
 トワは無邪気に笑います。
 その瞳は、すでに光を映していませんでした。
「これから、扉が開くんだよ。お父さん」
 刹那、男の発狂と鈍い音。
 お父さん――と呼ばれていた男は崩れ落ちました。
 トワール――と名付けられた永遠の少女の手には、紅く染まった鋭いモノがありました。
 床に赤いものが流れていきます。
 少女は筆をとり、嬉々として描いていきます。いつかオトウサンが見せてくれた、きれいな模様を。
 そして、床に描かれた「扉」を見つめ、トワは言います。
「これで、ずぅっと一緒だよ。オトウサン」
 午前零時の鐘が鳴ります。少女は無邪気に、そして、狂気を孕んだ声色で笑います。

 これで、トワとオトウサンは永遠に一緒だと―――

 いつの間にか眠っていたのでしょうか。
 少女は、真っ白なベットで目覚めました。
 外の風景は、かつて少女が見ていた空と同じ色をしています。
 少女が首を傾げていると、知らないニンゲンたちが少女のいる部屋に入ってきました。そして、そのニンゲンたちは言うのです。「怖かったよね。もう安心だよ。君を閉じ込めていた人はいない」と。
 トワを閉じ込めていた? 誰が?
 少女はますます首を傾げます。
 その様子に、ニンゲンたちは顔を歪めました。そして、口を揃えて言うのです。「可哀想だ」と。
 その後、ニンゲンたちはオトウサンや「扉」のことを聞いてきました。それに少女は嬉々として答えます。
 そのニンゲンたちによると、オトウサンはもう此処には居ないらしいのです。
 少女は思いました。
 ああ、オトウサンはあたらしい世界に行ったんだ。
 それなら、トワも早く行ってあげないと。
 オトウサンは今ひとりぼっちだ。きっとさみしがっている。
 そう思っている少女をよそに、ニンゲンたちは、少女を孤児院というところに入院させることにしました。

 その後、少女は悩みました。どうすれば、もう一度「扉」を開けるのか、と。
 ただ、四角く切り取られた空を見上げ、オトウサンを想います。
 今ごろ、何をしているのだろう。早くしないと、オトウサンが泣いてしまう。
 色を映さない少女は、オトウサンと一緒にいられる時をひたすら待ちます。
そして、終にやってきたのです。
 痩せこけた顔で、永遠を冠された少女は笑います。
「やっとだよ、オトウサン。これで、ずっと・・・ずぅっと一緒ね」

 蒼き月に見送られ、少女は旅立ちました。



 本を閉じる音がした。どうやらお話は終いのようだ。
「どうだった、ロッティ?」
 漆黒の青年は、自らの膝に寄り縋っている少女に言った。それに少女は笑って言う。
「人間って、相変わらずダメダメなのね。ただ偶像を追いかけて死んでゆく」
 かん高い声で少女は笑う。その声に紫眼の男が反応した。
「お前も相変わらず、無邪気に酷え奴だよな、ホント。本気で嘲笑(わら)えるくらい」
「アンタに返事を求めてないわっ!その口、閉じてくれないかしら?」
「あぁっ?」
 紫眼の男と少女は睨み合い、無益な言い争いを始めてしまった。それを余所に青年は言う。
「そうだね。人間はいつも同じことを繰り返す。でも、それは仕方のないことなのさ。人は、流転の中を生きているのだからね」
 そして、漆黒の青年は嘲笑を浮かべた。世界を見下すかのように。しかし、それも一瞬で、次に瞬間にはいつもの微笑に戻っていた。
 そして、未だに無様な言い争いを続けている二人に言い放つ。
「ロッティ、レジ君。その辺でやめたらどうだい?醜いったらありゃしない」
 それでも尚、二人は言い争いをやめる気配はない。
「だって、この馬鹿男がぁっ!」
「だってよ、この阿呆餓鬼がっ!」
 そう言う二人に、遂に漆黒の青年の堪忍袋の緒が切れた。切れてしまったのだ。
 そして、彼は一度目を伏せると、二人に静かに告げた。
「今すぐ、地に蔓延る数多の愚者のような、否・・・愚者以下の言い争いを止めないと、その首、刈り飛ばすよ?」

 恐ろしい処刑宣告を、空気が凍るような満面の笑みで。


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